メアリー・セレスト号：消えた船員たち、残された謎 – 幽霊船伝説の真相に迫る

1872年12月5日、大西洋上を漂流する一隻の帆船が発見された。船の名は「メアリー・セレスト号」。完璧な航行状態にありながら、船内には人影が全くなかった。まるで、航海中のある一瞬を切り取ったかのように、時間が止まっていたのだ。発見から150年以上経った今も、「幽霊船」の代名詞として語り継がれる、世界で最も有名な未解決事件の一つである。一体、この船に何が起こったのか？船長と船員たちは、どこへ消えたのか？この記事では、メアリー・セレスト号事件の謎を徹底的に検証し、その真相に迫っていく。

1. 事件の概要：完璧な状態で発見された無人船

1872年12月5日（資料によっては12月4日）、ポルトガル沖約600マイルのアゾレス諸島付近の大西洋上で、イギリスの帆船「デイ・グラツィア号」が、漂流する一隻の帆船を発見した。その船こそ、後に「幽霊船」の代名詞となる「メアリー・セレスト号」であった。

デイ・グラツィア号の船長デヴィッド・モアハウスは、ただならぬ様子を感じ取り、部下に命じて小舟でメアリー・セレスト号に乗り込ませた。そこで彼らが見たものは、驚くべき光景であった。

• 人影は皆無、しかし生活の痕跡はそのままに: 船内には、誰一人として人の姿がなかった。しかし、船長の机の上には航海日誌が開かれたまま置かれ、船員たちの私物も、それぞれの場所にきちんと収められていた。まるで、つい先ほどまで、そこに人がいたかのような気配が残されていたのだ。
• 船の状態: 発見当時、メアリー・セレスト号は、一部の帆が張られておらず、浸水も見られたが、全体的には航行に支障をきたすような大きな損傷はなかった。
• 食料と水の状況: 6ヶ月分はあろうかという食料と水が、そのまま残されていた。
• 積み荷の状況: 積み荷のアルコール樽1701個のうち、9個が空になっていたが、他は無事であった。
• 船内設備: 船内は荒らされた様子もなく、備品や船具も整然と保管されていた。羅針盤は破壊、クロノメーター(航海用精密時計)や六分儀、1台の小型ボートは消失していた。
• 救命ボートの行方: 唯一、救命ボート（小型ボート）が失くなっていた。このことから、船員たちは、自らの意思でボートに乗り移り、船を離れたと考えられたが、慌てて脱出したような形跡はなかった。

発見時の状況から、明らかに、メアリー・セレスト号は、急遽、全員が船を放棄しなければならないような緊急事態には陥っていなかった。海賊に襲撃された様子もなく、船が大きく損傷しているわけでもない。食料や水も十分にあり、船員たちの私物も残されている。それにも関わらず、なぜ、彼らは忽然と姿を消してしまったのだろうか？

2. メアリー・セレスト号：事件までの航海

謎を解く鍵は、メアリー・セレスト号の航海そのものにあるかもしれない。事件に至るまでの、この船の航跡を辿ってみよう。

メアリー・セレスト号は、1861年にカナダのノバスコシア州で「アマゾン号」として建造された、全長約31メートル、総トン数282トンの二本マストの帆船（バーガンティン形式）であった。当初は「アマゾン号」と名付けられていたが、不吉なエピソードが続き、1869年に「メアリー・セレスト号」と改名。数奇な運命を辿った船であったと言えるだろう。

事件当時、メアリー・セレスト号の所有者は、ジェイムズ・ウィンチェスターであった。

1872年11月7日、メアリー・セレスト号は、ベンジャミン・ブリッグズ船長の指揮の下、ニューヨークからイタリアのジェノヴァに向けて出航した。船には、ブリッグズ船長の妻サラと、2歳の娘ソフィア、そして7名の船員、計10名が乗船していた。積み荷は、工業用アルコール（メタノール）を詰めた樽、1,701個であった。

• ベンジャミン・ブリッグズ船長: 経験豊富で周囲からの信頼も厚い、熟練の船乗りであった。船員たちを家族のように大切にしていたという記録もある。
• 船員たち: 一等航海士、二等航海士、コック、その他4名の船員。経験不足の者も含まれていたようだが、航海に支障をきたすほどではなかったと推測される。

出航から数日間は航海は順調であった。しかし、11月25日を最後に航海日誌の記述は途絶えている。この日、航海日誌には、「アゾレス諸島のサンタマリア島の西100マイルを通過」と記されていた。

3. 消えた船員たち：乗組員はどこへ消えた？

メアリー・セレスト号から、なぜ、どのようにして乗組員全員が消えたのか？　この謎を解明するためには、当時の航海の状況、船内の人間関係、そして船長や船員たちの人物像を可能な限り詳細に調査する必要がある。

• ベンジャミン・ブリッグズ船長: 経験豊富で責任感の強い船長であったとされる。乱心して船員たちを置き去りにするような人物であったとは考えにくい。家族思いの良き父親でもあり、妻と娘を危険に晒すことはまず無かっただろう。
• 船員たち: 船員たちの詳細な人物像については、資料が乏しく、不明な点が多い。しかし、当時の航海日誌や関係者の証言などから、彼らの性格や船内での役割などをある程度推測することは可能である。
• 当時の航海における船員の役割と生活環境: 19世紀の航海は、現代とは比較にならないほど過酷なものであった。船員たちは限られた空間の中で、長期間にわたって共同生活を送らなければならず、厳しい規律の下、重労働を強いられていた。こうした環境が船員たちの精神状態に何らかの影響を与えていた可能性は否定できない。
• 船内での人間関係: 閉鎖的な空間である船内では、人間関係のトラブルが大きな問題に発展しやすい。メアリー・セレスト号の船内で、何らかの対立や不和が生じていた可能性はなかったのか？
• 考えられる行動パターン: もし、何らかの理由で、船員たちが船を離れなければならなくなった場合、彼らはどのような行動を取ったのだろうか？　救命ボートで近くの島を目指したのか？それとも他の船に救助を求めたのか？

4. 諸説乱れる謎：未解決事件が促す多種多様な仮説の検証

メアリー・セレスト号事件は、その不可解さゆえに、発生直後から様々な憶測を呼んだ。ここでは代表的な仮説を検証していく。

海賊襲撃説

メアリー・セレスト号が発見された海域は、当時、海賊の出没地帯として知られていた。しかし、船内に金品が残されていること、また、船員たちが抵抗した形跡がないことから、海賊襲撃説の可能性は低いと考えられる。 また、デイ・グラツィア号のモアハウス船長は、当時、周辺海域で海賊行為を目撃した記録は無いとも証言している。さらに、海賊が船を襲撃する目的は、通常、金品や積み荷の略奪である。もし海賊がメアリー・セレスト号を襲撃したのなら、なぜ、価値のある積み荷や船員たちの私物を残して立ち去ったのだろうか？　船体そのものを奪わなかったのはなぜか？　仮に生存者を残さない方針であったとしても、船を沈めるなどの行動を起こすはずである。これらの疑問点を考慮すると、海賊襲撃説は説得力に欠けると言わざるを得ない。

巨大イカや海獣などの襲撃説

巨大イカ（ダイオウイカ）は、深い海に住む巨大なイカで、最大で13メートルにもなるとされる。それらの生物に襲われて海に落ちたという説だが、ダイオウイカを含む巨大イカが生息するのは深海であり、海面近くまで上がってくることは極めてまれである。さらに、仮に巨大イカが船を襲撃したとしても、船体に何らかの損傷が残るはずである。しかし、発見されたメアリー・セレスト号にはそのような痕跡は見当たらなかった。 また、海獣に襲われたとしても、全員が同時に襲われるとは考えにくい。これらの点から、巨大イカや海獣による襲撃説もまた可能性は極めて低いと結論づけられる。

船員たちの反乱説

航海中に船員たちが反乱を起こし、船長一家を殺害した後、船を捨てて逃亡したという説。しかし、船内に争った形跡がないこと、また、船員たちが反乱を起こす動機が見当たらないことから、この説の信憑性も低い。 ベンジャミン・ブリッグズ船長は経験豊富で、船員たちからも信頼されていた。待遇に不満が噴出するような環境であったとは考えにくく、そのような状況下で、あえて危険を冒してまで反乱を起こす理由が見当たらない。さらに、反乱を起こした船員たちが、その後どのようにして逃亡したのかも不明である。この説もまた状況証拠と矛盾する点が多く、真実味に欠けると言えるだろう。

船長の乱心説

ブリッグズ船長が航海中に精神に異常をきたし、錯乱して、家族と船員を道連れに心中を図ったという説。しかし、ブリッグズ船長は経験豊富で責任感の強い人物であり、家族思いの良き父親であったという記録が残されている。また、出航前のブリッグズ船長の様子に異常は見られなかったという証言もある。彼がこのような突飛な行動に出るとは考えにくい。 さらに、ブリッグズ船長ほどの航海経験豊かな人物が、海上で自ら命を絶つような真似をするとは考えにくい。この説もブリッグズ船長の人柄や、当時の状況と照らし合わせると、無理があると言わざるを得ない。

航海上の事故説

嵐や津波などの自然現象によって一時的にパニック状態に陥り、船員たちが誤って船を離れてしまったという説。しかし、発見時の船の状態はそのような大惨事をうかがわせるほど荒れてはおらず、大規模な自然災害に遭った可能性は低い。また、11月25日の航海日誌の記述以降、メアリー・セレスト号がそのような自然災害に遭遇した記録も、付近の海域を航行していた他の船の記録にも残っていない。 さらに、仮に一時的に船を離れたとしても、なぜ、船員たちはメアリー・セレスト号に戻ってこなかったのだろうか？　この説では、説明できない謎が残る。

積荷のアルコールの引火爆発説

メアリー・セレスト号の積み荷である、工業用アルコールが何らかの原因で気化し、引火爆発する危険性を恐れて、船員たちが一時的に避難したが、そのまま戻れなくなったという説。９つの樽が空であったことは爆発があった可能性を示唆するが、船内に爆発や火災の痕跡は見当たらないため、引火爆発の可能性は低い。しかし、この後紹介する「最新調査と新たな可能性」で、この説を補強する事実が浮かび上がってきた。 この説は他の説に比べるとまだ可能性が残されていると言えるだろう。

保険金詐欺説

船主であるウィンチェスターが、保険金目当てに偽装工作を行ったという説。しかし、その後の調査で、メアリー・セレスト号にはそれほど高額の保険金がかけられていなかったことが判明している。また、偽装工作にしては不自然な点があまりにも多く、この説は可能性が低い。さらに、ウィンチェスター自身もこの航海に多額の投資をしており、偽装工作を行う動機が見当たらない。

その他、少数説

地震や津波によって一時的に避難した可能性、異星人による誘拐説など。これらは証拠に乏しく、推測の域を出ない。 現実的な仮説とは言い難く、エンターテインメントとしては面白いかもしれないが、真相究明という観点からは考慮に値しないだろう。

5. 最新調査と新たな可能性：現代科学が照らす幽霊船の真実

近年、メアリー・セレスト号事件に関する新たな調査や仮説が相次いで発表されている。これらの最新情報を検証することで事件の真相により迫ることができるかもしれない。

• 「爆発」説を裏付ける実験結果:
  2006年、ロンドン大学のアンドレア・セッラ博士を中心とする研究チームは、ドキュメンタリー番組「The True Story of the Mary Celeste」の企画で、メアリー・セレスト号の積み荷であったアルコールを積んだ状態を再現し、引火実験を行った。その結果、密閉された空間でアルコール蒸気が引火した場合、爆発は樽を破壊する程の威力は無いものの、爆発時の轟音と樽から吹き出す炎は、相当な恐怖を覚えるものであることが判明した。 この実験結果は、前述の「積荷のアルコールの引火爆発説」を部分的に支持するものと言えるだろう。
• 「ラプチャ現象」の可能性:
  「ラプチャ」とは、液体が沸点を超えても突沸せずに気化しない「過熱状態」となる現象である。メアリー・セレスト号の積み荷であったアルコールが、何らかの理由で過熱状態となり、その後、急激に気化（突沸）したことで、大きな音や衝撃が発生した可能性がある。 この「ラプチャ現象」であれば、爆発や火災の痕跡が残らないことも説明できる。この現象は船体の揺れや温度変化など、様々な要因で発生する可能性がある。
• 一時避難説の補強:
  前述の「爆発」や「ラプチャ現象」によって、ブリッグズ船長が一時的に船を離れる決断を下した可能性は十分に考えられる。船員や家族を守るために危険な状態の船から離れ、様子を見ようとしたのではないだろうか。 この場合、船内に争った形跡がないことや、船員たちの私物が残されていることとも矛盾しない。しかし、何らかのアクシデント（天候の急変、ボートの転覆、方向感覚の喪失など）により、船に戻れなくなってしまった可能性が考えられる。例えば、強い風が吹き始め、ボートが流されてしまったのかもしれない。あるいは、濃い霧が発生し、視界不良で船を見失ってしまったのかもしれない。
• 新たな航海日誌の分析:
  近年、メアリー・セレスト号の航海日誌の記述が、改めて詳細に分析されている。その結果、ブリッグズ船長が航海の途中で進路を若干変更していたことが判明した。この進路変更が事件と何らかの関係があるのではないか、という見方も浮上している。

これらの最新調査と新たな可能性を踏まえると、「積荷のアルコールの引火、もしくはラプチャ現象による一時避難説」が、現時点では最も有力な仮説と言えるのではないだろうか。

6. メアリー・セレスト号が遺す教訓：未解決事件が問いかけるもの

メアリー・セレスト号事件は、単なる海難事故ではなく、人間の想像力を掻き立てる、深い謎に満ちた未解決事件である。この事件は我々に何を問いかけているのだろうか？

• 自然の脅威:
  海は、時に人間の想像を絶するような脅威となる。メアリー・セレスト号の船員たちも、もしかしたら、我々がまだ知らない、未知の自然現象に遭遇したのかもしれない。この事件は自然に対する畏敬の念を改めて思い起こさせてくれる。
• 人間の弱さ:
  人間は極限状態に置かれた時、どのような行動に出るか分からない。ブリッグズ船長は経験豊富で責任感の強い人物であったが、それでもなお、判断を誤ってしまった可能性は否定できない。この事件は人間の不完全さや判断の危うさを我々に突きつけている。
• 未知なるものへの恐怖:
  メアリー・セレスト号事件は、我々がまだ知らない未知なるものが存在することを示唆している。この事件は人間の知識や経験を超えた不可解な出来事が起こりうることを、我々に教えてくれる。そして、その 「分からなさ」に対する恐怖や畏怖の念を呼び起こさせる。

メアリー・セレスト号事件の真相は未だ闇の中である。 しかし、この事件が我々に多くの教訓を与えてくれていることは間違いない。現代の科学技術をもってしても未だ解明できない謎は存在する。我々はこの事件を教訓とし、常に謙虚な姿勢で、未知なるものと向き合っていく必要があるのではないだろうか。

7. Further Reading

• Fay, C. E. (1942). Mary Celeste: The Odyssey of an Abandoned Ship.
• Hastings, Macdonald. (1965). Mary Celeste: A Centenary Record.
• Wright, David G. (2002). Joyita: Solving the Mystery.
• Berlitz, Charles. The Bermuda Triangle.
• The True Story of the Mary Celeste. (2007). (TV program).